2012年5月14日月曜日

路上からの景色


 渋谷区代々木公園の朝。通勤の往来を眺めて1日の始まりを確かめる。スーツに身を固めた同じ年頃のサラリーマンたちを横目に公園のベンチから彼は何を考えていたのだろう。嫉妬か不安か、あるいは帰る家もなく公園のベンチで夜を明かさなければない境遇を生み出した社会への憎悪か。何年か前まで彼も同じように毎朝スーツを着て出勤していた。それなのに今は、代々木公園のベンチで朝を迎えている。



ー保守的なるものからの脱却ー
 塚本圭さんは、1980年生まれの31歳。京都の名門私立大学を卒業後、通信事業日本最大手の企業に就職した世に言うエリートだ。丹念に言葉を選び、呟くように喋るかと思うと、目をキラキラさせて夢を語る。そんな彼がなぜ代々木公園で寝泊まりをすることになったのか。その経緯は、やや無鉄砲ではあるが先進的で思慮に満ちている。彼は、4年間大手企業に勤めた後に28歳で退職。その後、派遣やアルバイトで食いつなぎながら在職中に始めていたブログアフィリエイトのサイドビジネスに力を入れ、30歳を手前にフリーランスとして渋谷を中心にイベントの企画・運営を手がけるようになった。

「会社という保守的な場所に留まるのではなく、自分の時間とお金をコントロールできる生活が欲しかった。」

 勤務時間と固定給に身を縛られながらの限られた生活には精神的な動きが乏しく、カネなどの物質的なものを越えていくことはできないのではないか。在学中にひとり自転車に跨がり旅した20もの国々で感じた「モノなんて最小限で良いんじゃないか」という考えは数年後に彼を大きく動かしていた。

ー東日本大震災をきっかけにそれまで住んでいた家を解約ー
 2011年3月11日。宮城県沖で発生した巨大地震は、あらゆる側面から私たちの生活に影響を及ぼした。そして、東京電力福島第一原子力発電所では地震発生から1年を経た今も大量の放射性物質が放出され続けている。

 この震災は「日本を変えた」と彼は言う。それは、官僚やマスメディアからもたらされる通り一遍な情報によるささやかな構造の変化ではなく、私たちの行動原理の奥底にある琴線が「これからの行く末」について少しずつ共鳴しだしたという意味での変化だ。この震災によって私たちはいつ死ぬのかわからないというどうしようもない恐怖に直面する共に「本当に人生これで良いのか?」という思考をし始めた。
 
 単に災害への万全な備えを用意するのではなく、老若男女が残された時間を本気で見つめ直すようになったのだ。絆という言葉が飛び交うなかで婚姻数は増加。彼の周りでも震災から1年で4組が結婚をしたという。
しかし、友人が次々と結婚をし「定住化」していくなかで、彼はそれまで借りていたアパートを解約。家を放棄した。

「『僕は逆を行こう』みんなが身を固めたがるところを僕は自由になろうと思ったんです。どんどんと。家がある時点で自由が制限されてしまうじゃないですか。守らなければならないし。」

 彼は、状況によって財産にも負債にもなる「危うい所有物」として家を捉えていたのだろう。稼いだお金を単に寝泊まりするためだけのほんの小さな所有権に充てるのではなく、すぐに移動できる状況をつくることによってより広い視野で世界と向き合っていたいと考えていたのだ。

「津波か何かの時に突然足下がグラグラになったり、そういう時に何かに寄りかかっていると一緒に倒れちゃうのでね。自分の力で立つ必要があると思うんですよ。地震が起きたら、放射能が来たらその土地を捨てる必要があるし、円が紙くずになったらどこかに行かなければならない。体制と空気感が保守的であるから、壁を乗り越えて世界に飛び立つ勇敢な若者が必要だと思う。」



ー10ヶ月間の家なしノマド生活ー
 震災当日彼は、東京にいた。インターネットをはじめ様々な媒体から被害の状況を目にして、「個人としてどう生きていくか、より深く個というものが求められているのではないだろうか」と考えていたいう。数週間を沖縄のゲストハウスで過ごし、帰京。友人宅を転々としながらフリーの仕事をするうちに、2011年4月から翌年の1月まで10ヶ月間の家なしノマド生活は始まっていた。

 持ち物は、財布、2、3日分の衣類、PC、携帯電話。それらをバッグ1つに詰めて友人の家、漫画喫茶、ホテル、公園での寝泊まりを繰り返していた。公園では寝やすいベンチを探しその上に寝袋を敷いて寝た。路上生活者は多かったが、彼らと関わり合うことはなかった。「あくまで経験としての公園生活」だと彼は言う。公園から始まる単調な1日を彼は飄々と語ってみせるが、夏の暑さ、冬の寒さ、雨風の夜を公園で明かすことの厳しさは想像を絶する。実際にお金が無いわけでも、仕事が無いわけでもなく身体も健康である。家を持つことが保守的であるからという理由でそれを放棄し、より深い個を追い求めるために公園に寝泊まりするのは大袈裟すぎる気もする。

「この家なしノマド生活は、友人やつながりがあったおかげでできたんです。家に泊めてくれたり、お風呂を借りたり、ご飯食べさせてくれたりね。自分のネットワークを広げていくと日本中、世界中がお家になりますよね(笑)」

 彼は、本当のノマド生活を手に入れるために厳しい公園生活をしていたのだろう。本来、ノマドとは中央アジアに暮らす遊牧民族をさして使われる言葉である。遊牧民と聞くと私たちは気ままで自由で牧歌的な生活をしている人たちを想像してしまいがちだが、彼らの生活は自然条件や縄張り争いなど、状況に応じて変化するため強固なネットワークと精神的にも肉体的にも個々の強さが求められるシビアなものなのだ。

 家がない代わりに彼は、「塚本圭」という個人を売ってアフィリエイト収入を手にし、イベント/セミナーを企画・運営していた。そのなかで彼のネットワークは育ち、広がっていく。そのネットワークを強固にすることで彼は本当のノマド生活を手に入れたのかもしれない。






 2012年1月に彼は10ヶ月間に及ぶ家なし生活に終止符を打った。現在は、渋谷の真ん中に仕事場も兼ねた部屋を借りている。帰る家は手にしたが、渋谷の街を拠点に日本中に広がるネットワークを自由に行き来しながら彼のノマド生活は加速しているようだ。近々、彼は四国にお遍路の旅に出るという。彼の運営するブログの読者を四国地方で広めるのが目的だ。日本中につながりを増やし、ゆくゆくは世界中をお家にするのだという。

「もうすぐ僕も世界旅人になれます。」

 少年のようなワクワクとした愛くるしい目で夢を語る彼に、戦後の日本を鞄ひとつ、リュックひとつで旅した車寅次郎や山下清を見たような気がした。

(望月一将)
     


3 件のコメント:

  1. 阪神淡路のとき、自分の家を持つことに疑問を感じ、実家の立替のときに反対したんです。
    結局押し切られたのですが、今度は八戸に居てこの津波です。
    今も自分の居場所は、”家”である必要はないと考えていることが多いんです。
    なんとなくそれとかぶって見えた記事でした。

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    1. 長崎タイチ様
      コメントありがとうございます!
      今回インタビューに応じて下さった塚本さんは、自分の家を否定しながら、"国家"も否定しているように感じました。
      二つの大地震を経験するなかでのパラダイムシフトが加速しているのでしょうか。

      望月一将

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  2. 世界の旅人になる塚本圭さんにめっちゃ期待!!

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