2012年6月19日火曜日

特別講義「畠山理仁 いかにして我はフリー記者となりしか」議事録

2012.6.15勝どきシェアオフィスにて
烏賀陽ジャーナリズムスクール特別講義
講師 畠山理仁さん

烏賀陽)「フリーのライターとして活動して行くにはどうしたらいいのか?」 をフリーのライターとして活躍している畠山さんにお聞きする。  
 
畠山)現在は福島の取材を行ってる。 福島第一原発内部の取材、フリーは2名入れた、私と木野さん。 希望者は多かったが書類選考で落とされた。  

  烏賀陽)大学を出て就職として新聞社に入ると、自動的に記者クラブに入れて取材ができる。 フリーにも優秀な人はたくさんいるのに、フリーは入れない。  

畠山)肩書きがあると、信用があると思われる。 「新聞協会や記者クラブの人はこちらがこうしてくださいということを守ってくれる。けれどフリーはそもそも窓口がないので、各ライターにいちいちお願いをしなければいけない」と先方は主張。 東電の会見も最初は誰でも入ることができたのだが、政府との合同会見になってからフリーの人たちが入れなくなった。 実際の記者会見で質問が長いことや、自分の言いたいことを言い続けるという人はいたが、暴力事件があったわけでもなく、支障をきたしたことはなかった。

烏賀陽)カリフォルニアの取材時に、どのような人を会見場に入れるのかを聞いたところ、(記者として活動をしているひとならば)誰でも入れると言われた。

畠山さんは最初からフリーだった、大学在学時からフリーとしてライターとして活動を始めたのか?

畠山)学生時代飲み屋で学部の先輩と知り合った、「記事を書くような仕事がしたい」と話したら、手伝いに来いと。 その人が編集プロダクションの仕事をしていた(いわゆる出版社の下請け的な編集プロダクション)。先輩のところに手伝いに行くことにした。

最初からライターをやっているわけではなくて、まずはページデザインやレイアウトの勉強をさせてもらった。 出版物の工程を一通り教わった。 記事を書くことについては、先輩についていってどのように取材をするのかを見ていた。文字起こしをして、そこから先輩がどのような記事を書くのかを見ていた。 最初は無給で、他でバイトをしながら。 住み込みで働くようになってからの月給は3万円(保険等なし)。 勉強をさせてもらったような感じ。

テープ起こしは勉強になる。自分が現場にいないところでとった取材のテープなどを聞くことが出来るし、文字にすることも速くなるし。そのうちそのテープの内容を記事にすることをやってみるようになって行った。 そのうちインタビューをやってみろと言われる、行く前に何を聞くかなどについてアドバイスをもらえる。 そして社内報などの仕事を回してもらえるようになった。週プレのニュースを書いていた。 編集プロダクション所属の人では、出版社に常駐の外部スタッフとして入る人もいる。 ライターになる前に、データマンという仕事もある、現場に行ってその場での聞き込みをたくさんして取材したメモを持って帰ってくる。それを基に記者が記事を書く。  

烏賀陽)90年代はニュース系の雑誌がたくさん出ていたが、最近はそういう媒体自体が減ってきている、これからそういう世界を目指す若い人たちにとっては、業界自体が狭くなっているのではないか?  

畠山)ニュース記事はお金にならない。スキャンダルやグラビア系の方がお金になるということはある。地味な報道はあまり受けない。週プレで言うと、ターゲットが若い男性なので、そういう記事は受ける。 雑誌のニュースで取り上げるものは、その週にあったことをめぐり現場に行って、他が書いていないことを書くという作業になる。 週刊誌をやっていて良かったことは、必ず毎週締め切りがあるので、数をこなせるし、人からの批評も聞くことが出来る。 取材相手の印象に残るように取材をする。覚えてもらえると取材対象者に話してもらえることもある。  

参加者)取材相手に好かれることは重要か?  

畠山)好かれればそれでもいいけど、必要なことを聞くことができれば好かれる必要は無い。取材の仕方は人によって違う。 そのときホットな場所に行って他の人の取材を見てみるというのも勉強になると思う。  

烏賀陽)取材の媒体によって取材の仕方とかは明らかに違う。  

畠山)文字の取材の人は事件があった住宅街などでは目立たない。たまに知り合いになったりすることもある、そういう人たちと情報交換をすることはある。

  烏賀陽)どれくらい続けていて、これが自分の職業だと確信したのか?  

畠山)最初はデザインの仕事の方がギャラが良いし、パソコンも触れるしで、デザインの仕事もいいかなと思ったが、デザイン科出身の人間に頼んだらその人の方が上手かった。 取材に行って記事にまとめるという仕事を始めていて、その作業はしんどくて苦しいんだけど、やっぱり書くのが好きだからそちらに行こうと思った。
最初は3年(25歳)までは編集プロダクションにいろと言われていた(若い人は1年くらいですぐ辞めるから)3年いて良かったのは、狭い業界なので義理を果たしたということは重要だった。最終的には15万くらいはもらえたけど、実際にやっている仕事(会社が請け負っている)からすれば少なかった。
3年経って独立したとき、一社だけ得意先?を紹介してくれた。
フリーで仕事をするに当たっては、持っている人脈で仕事が回ってくる。知り合いが紹介してくれる。(業界は狭いので、そういうやりくりで業界全体の人材が足りてしまう)。
ニュースになる特集?
 
烏賀陽)当時週プレのギャラはどれくらいだった? アエラだと4pの特集で10万円ちょい (p5万円)  

畠山)今はp3万円くらいになってきた。ネットの方が圧倒的に安い。昔はHPなども簡単に作れなかったので、ネットでは「書かせてやる」という状況にあった。

烏賀陽)最初の本を書いたのは?  

畠山)企業の社長の本をゴーストで書いた。企業の本は儲かる。必ず買い取ってもらえるから。  

烏賀陽)ゴーストライターの仕事というのは結構ある、フリーは自分の名前は出ないけれど書いている本は結構ある。  

畠山)ゴーストでも書くチャンスがあるというのはいいことだと思う。  

烏賀陽)いつ頃フリーでやっていけると思ったのか?  

畠山)25歳まで女をつくるなと言われた。連れ合いも仕事をしている人だった。付き合いのある編集者もフリーになってはどうかとすすめてくれていた。25歳になって独立する許しをもらえることになって、週プレの仕事だけをもらって独立し、結婚することにした。
連れ合いが仕事を辞めたことをきっかけに他の仕事も受けるようになって、増やしていった。
学生時代の友人が出版社に入っていたりしたので、顔つなぎに仕事を受けたりしていた。単価が安くてもとにかく書いて、書いた物が人に見てもらえるようにしようと考えた。
 
烏賀陽)畠山さんが得意な他のジャンルは?

  畠山)ゲーム関係とかエロネタとか何でも書いていたけど、段々自分の得意な分野が出来てくる(人脈が出来て行く中で)ゲームに関しての記事は興味なかったけれど、仕事で書くことが増えて意外と書けるようになっていった。 あまり内容を選ばずに書かせてもらえるなら書いていた。ジャンルにこだわらない人はフリーには多い。 ライターと名乗ってジャーナリストと名乗らないのは、ジャンルも雑多だからジャーナリストに括れないため。

  烏賀陽)今39歳になって業界のことも分かって取材も色々して、キャリアを積んできているよね?  

畠山)媒体は減ってきているし、ギャラも下がってきているので、メルマガを始めた。始めて良かったけれど、自分が書いたものがダイレクトに読者に届くので、編集者が間に挟まっていないのでどうかなと思うこともあるけど、自由度も高い。 逆に他人の目が入って原稿が良くなるということも経験してきたので、誰かと一緒に記事を作るということは意味がある。 メルマガは孤独な作業となる。 メルマガにも編集者がいてもいい。とりあげる記事や内容についての意見をもらえる。
最近現場に行く編集者が少なくなってきている。 私の場合は書いている時間よりも読み返している時間の方が長い。(推敲している時間の方が長い)。
 
烏賀陽)上杉さんとの共著で、畠山さんの文章にまとめる仕事が上手いと感じた。
約3日にわたり場所を変えて対談したものを、話題ごとにまとめて一つの本にする。  

烏賀陽)畠山さんが今後やっていきたいことは何?  

畠山)選挙が好きなので、選挙に群がってくる人たちのことはこれから先も取材していきたい。浮上してこないインディーズな候補者は面白いので、今後も見ていきたい。人間のおかしな部分が全面に出てきたり、おかしな人や面白い人がいたりするので、日本人は真面目だから変な人がいるってなるけど、マイナーだけど目立つ人というのを取り上げていきたい。

「どうしてこんな風になってしまったのか?」「福島の警戒区域内に住んでいる人たちは、どうして国から出ろと言われているのに、それでも住んでいるのか?」などを取材していきたい。
浪江町エム牧場のことなど、資産価値のなくなった牛に未だにえさを与えるために通い続けている。
3.11関係の取材を始めたのは遅くて、事故から1年後くらいのスタートになる。今取材しているテーマは需要がほとんどない(旬じゃない)テーマであるので、首都の人たちが感心を寄せるニュースが中心となった取材が求められている。 自分はまだ取材したいと思っているから続けている。だんだん福島を取材する人が減ってきているので、取材に行くと歓迎される。

でも今続けている取材がお金になるかどうかは今のところわからない。やりたい取材はできるけど、収入は別の仕事でという切り替えも必要になる場合がある。 食べるための仕事が原稿を書くことならば一番いいけれど、書くために別のことでお金を得て、結果書くことになればそれでいいと思っている。 本一冊書いたって、経費も回収できるかどうか微妙。  

参加者)編集者は最初から編集者なのか?  

烏賀陽)出版社に入った人は最初から編集者。  

質問コーナー  

参加者)記者会見にフリーが入れないというのは違法ではないのか?  

烏賀陽)実際に記者クラブの会見での配布資料をフリーがもらえなかったことで訴えたが負けている。 昔と違ってUstなどの中継が出来るようになり、記者会見というものを一般の人が認識するようになってきた。 だから、今後は記者会見の開放はできるかもしれない。  

参加者)海外にたくさん行かれていますが、その際の経費の確保はどうしていますか?  

畠山)外国に行きたいと担当編集に話をします。「面白いの?」と聞かれるので、「面白いから面白かったら経費出してね」と口約束をしてから自費で取材に行く。借金の場合もある。チャンスだと思ったらタイミングを逃したら行けなくなってしまうから。
書いた記事の内容とセットで、経費も後から出る場合もある。 全く採用されないこともある。その場合は赤字となる。 でも今しかないと思ったら行ってしまうことの方が多い。 取材中は手書きのメモも使っていて、まとめる時はパソコンで。パソコンが使える環境ならばその方が速いのでパソコンでメモを取る。 通訳は予算があるときは雇うけど、予算がないときは自分で頑張る。

海外に行った場合は、なかなか行けない場所でもあるので、本来の目的以外の取材も並行。 選挙の取材をしつつ、アダルトショップの取材とか・・・? あえて人と違うことを探さなくても、人と違ってくると思う。

烏賀陽)取材をしつつ、どこの国へ行っても同じテーマで並行取材し、それを後からテーマでまとめるという人もいる。  

質問)寝るのも惜しいと普段から思えるようになるには?  

畠山)私は選挙の取材はやっぱり楽しい、寝るのも惜しい、食事をとるのも惜しいと思う。国政選挙になると地方も回るので食事をする暇もない。でも、寝ないとだめだから、寝る。好きなことを取材していると寝るのが惜しくなる。  

自分では良いと思った物が売れないこともある。その場合別な方法で収入は確保し、自分のやりたいこと、良いと思ったことがいつか注目されるかもしれないと思いながら自分を生かすための仕事をすることには抵抗はない。  

烏賀陽)インターネットが普及したおかげで、見本を公開しやすくなったという利点はある。ネットで公開していたら出版社の方から出さないかというオファーが来た。自分で見本を持って回るのと、向こうが見に来てくれるのとの違い。 扱っている物は同じ。

(山本伸子氏の投稿より転載)。